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お大師さまについて・弘法大師空海の足跡を辿る5(2007冬-No.34)

同行二人、お大師さまと歩む清らかな人生

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お大師さまについて

弘法大師空海の足跡を辿る(5)

最近高野山に訪れて大きく変わりましたのは、外人の観光客が極端に増えたことです。物珍しく、日本の名所と言われている所を観て廻りたいという興味本意の人ばかりではなく、真剣に日本という国の文化の神髄を見たいという人がなかにはいても不思議ではありません。

宗教が国家間の戦争まで発展した例は歴史的にも多く、現在のイスラーム圏の民族紛争も例外ではありません。さて、今回は室戸岬での弘法大師空海の経験からその後の話に移します。

三教指帰について

(さんごうしいき)と読みます。儒教、仏教、道教、三教それぞれの比較で、仏教が最も優れていると結論づけています。この一説は儒教が大学でも主要な学問として位置付けられている時期のことですから、周囲の人たちは空海の意見には大反対します。

弘法大師空海は出家して仏教者になる決意を固めたという見方が「ひろさちや氏」の説では三教指帰を処女出版しましたのは延暦15年(797)24才の時です。

仏教が日本に伝来しましたのは西暦538年と言われています。(日本書紀では552年という説です)よく知られています話では百済の聖明王から欽明天皇に仏像やお経が献上されさらに朝鮮半島の帰化人を先進文化人として迎え入れた蘇我氏はこの機に仏教を国家公認の宗教にしたいと考えますが、物部氏は日本古来の神々を信奉し、仏教は邪教であると対立します。結局用明天皇の皇位継承をめぐる争いで蘇我氏が勝ち、仏教が国を守るものと考えられるようになりました。

三教指帰が当時非常に大きな影響を与えたことは充分に想定できますが、18才から31才までの弘法大師空海の足跡につて、専門の識者でも決定的な意見はありません。

そのことについて、ある学者は空海も釈尊と同じ途を歩むことを決意した時期と考えています。というのは空海も釈尊も19才で出家しており、それは釈尊がブッダガヤーで出家した時と同じ年令であったからです。偶然の一致は後の空海に釈尊と同じ行動をとらせる動機にもなりました。30才12月8日まで、つまり釈尊が菩提樹下で悟りを開いた同じ日まで、空海も仏教者として同じ途を歩むことを決意させたという想定です。

現在の日本の仏教史には釈尊が出家されたのは29才と言われてますが、これは南方仏教(小乗仏教)の伝承に従っているからです。

話は飛びます。弘法大師空海が31才の時に肥前田浦港より遣唐使の随員として、唐の国へ出航します。叔父の阿刀大足(あとうおうたり)の許しをえて、唐へ渡る困難さを承知の上での渡航です。

当時の日本の造船技術は非常に劣っていたようですが唐に行きたいの一念で決意してます。

ある説では日本から中国に無事に渡れる確率は、60~70%だそうですので、自分の死をある程度覚悟しなければなりません。

桓武天皇の皇子の伊予親王の側近であった空海の叔父阿刀大足(あとうおうたり)は天皇の許可をえましたが、語学のできる男であるから通訳として、出家受戒させ、経済的な面の説明も天皇に了解をとることが、たいへんだったようです。阿刀大足の必死の売り込みで、ようやく実現の途が拓けました。

高野山とわたし(最終回)

倉本重信 様

倉本様の四国お遍路の旅もいよいよ最終回を迎えることになりました。(はすの会編集室)のスタッフも倉本様の原稿を読ませて頂き、たいへん勉強になりました。

弘法大師空海は現在のわたくし達の生活にも大きな影響を与えてくれています。実際にどれだけの人が四国お遍路の旅に訪れているのでしょう。

そして、もしお遍路ツアーがなかったとしたら四国全域に対しての経済効果の凋落は計り知れないものがあったと思います。以下、倉本様の最終の原稿をお読みください。

第7回平成18年3月

(60番札所から71番札所)

四国遍路順持者は年を追うごとに急速に増え続け現在は約20万人にも達していると言われています。遍路信仰も回を重ねるごとに「同行二人」、もう一人の弘法大師空海さまの重みが感じられるような感覚におそわれます。

山岳信仰の霊地として知られています四国最高峰の残雪残る「石鎚山=いしづちやま」、そしてその中腹にある第60番札所の横峰寺、標高740メートル、四国連山が美しく見えるこの地で弘法大師空海も修行したといわれています。

白装束に身を包んだ人々の団体が、線香の匂いが立ちこんだ境内で読経とご詠歌と、そして尺八を吹く各々が唱える仏教賛歌で心が一つになりました。

お互いに修行の心は同じであることを確め合いました。

讃岐(香川県)の雲辺寺=巨籠山雲辺寺=きょこうざんうんぺんじ、荘重な雰囲気に包まれた四国高野ロープウェイで一気に1000メートルまで昇る頂上本堂の気温は氷点下、わたし達は手洗水も凍って使えない寒さの中で御真言を唱えました。

その横にスキー場があり、色とりどりのウエアーで賑わいを見せていましたが、お遍路の白装束の集団とは、対象的でした。

61番札所香園寺は体育館並みの大きな建物、会館の中に安置されています本尊は大日如来です。

(琴平泊)

第8回平成18年6月

(72番札所から84番札所)

讃岐の国(涅繋の道場)、煩悩を滅し解脱の境地に達する涅繋への道は穏やかな讃岐路を東へと進む。

75番札所善通寺はお大師さまの息吹が感じられる生誕の地、高野山金剛峯寺、京都東寺と並ぷ弘法大師三大霊場の一つ、広大な寺域に驚いた。

源平の合戦場壇の浦を望む景勝地に立つ84番札屋島寺、大きな2匹の太三郎狸様が迎えてくれた。

私も屋島は50年ぶりに訪れました。

(高松泊)

第9回平成18年9月

(85番札所~88番札所)

私たち一行は計画当初より年3回、3年で結願のスケジュールをたて、実行してきた。85番札所八栗寺、境内の背後に切り立った五剣山、前に屋島それは景勝の地にあった。長い道程を越えて山深い結願の寺、大窪寺は徳島県に近い静かな山合にある。

私達一行も修業満願のお礼と喜びに祈りを捧げたそして記念写真に納まった。宝杖堂には順捧を終えた遍路さんが奉納したおびただしい数の金剛杖が立て掛けられていた。

(淡路泊)

1200年の聖地高野山奥の院杉木立からの日差しを浴びながらお大師様に四国八十八か所結願のお礼参り。

「紀伊山地の霊場参詣道」が2004年7月に世界遺産にご登録されてから、今も大勢の世界各国の信者の方が参詣に来られます。

いつの日も御佛の慈悲の心をこめて訪れる人々をやさしく迎えてくれる聖地。高野山で御佛の心触れ、癒されそして自己発見に努め、弘法大師空海=お大師さまの教えは国を越え、世代を越えて未来に受け継がれる人類共通の宝物であると私は考えます。

(了)

第60番札所横峰寺からの景観

第60番札所横峰寺からの景観(四国最高峰1982mの中腹)

生前葬について

ご本人が生きている内に葬儀を行う「生前葬」

元女優さんの水の江滝子さんが生前葬を行い知られるようになりました。

「元気なうちに身近な入に別れを告げたい」
「形式にとらわれた葬式はいや」
思いは様々ですが、みなさんはどうお考えですか?

自らお世話になった方に別れを告げたい。

おしきせな式はいやです。

親族がいつまでも仲良く。

生前葬を考えているある方の意見を聞きますとこれから「生前葬」は増えるのではないかということです。

その理由は

  • 現在までお世話になった方に、自分自身でお礼を言いたい。死ぬ間際、その後では伝わらない。
  • 遺族の方に、必要以上の迷惑をかけたくない。
  • 葬儀会社に言われるままに進められる葬儀への疑問がある。
  • 宗教は生きてる人のためにもあり、お葬式の為にあることへの疑問。

などなどいろいろ意見があります。

特に、遺産で家族の方がもめて、後のおつき合いができなくなった事例を経験した方もたくさんおります。

  • そこで

みなさんならこういう「生前葬」ならしたい、というご意見をお聞きしたいと思います。

ぜひお聞かせください。

  • 応募の方法
  1. お手紙(1200字以内)
    その他提案については特別に方法は限定しません。
  2. 締め切り 平成20年1月15日
  3. 応募資格 はすの会会員及び関係者
  4. その他、次号で面白い提案は発表します。

宗教家、大学教授などの識者のご意見を参考に実現可能で、人間の尊厳を護れ、暖かい企画歓迎。

事例のご紹介

先日毎日新聞に紹介されました事例について、ご紹介いたします。

Aさんの場合

会場費、飲食代、出席者(親類、友人ら88人)へのお土産代、遠方からの出席者の宿泊代食事代、戒名の謝礼など合わせますと400万円弱、会費は取りませんでしたが、お祝を包んでくれた人が多かったそうです。

Bさんの場合

飲食費、会場費が60万円、自分史ビデオの制作自作の仏像などを置くための展示コーナーの設置その他企画費など60万円、全員を招待しました。

以上新聞に掲載された事例です。

葬儀屋さんやホテルでも企画している所がありますが、私はほんとうに気心が通じ合える方だけで、企画したら湿っぽくなく、極楽行きの指定券を買った感覚で挙行できるのではないかと思います。

人の一生は誰よりもご自分の尊厳が護られなければなりません。そのために一度皆様のご意見をぜひお聞かせください。

hana

年末年始日程のご案内

下記の日程でお休みさせて頂きますのでよろしくお願い申し上げます。

  • はすの会大阪事務所

平成19年12月22日(土)から

平成20年1月7日(月)休業

平成20年1月8日(火)より平常勤務いたします。

  • はすの会高野山事務所

平成19年12月3日(月)から

平成20年3月3日(月)休業

平成20年3月4日(火)より平常勤務いたします。

(午前11時30分より出社しています)

右の期間中でも事前に事務局にこ連絡頂けましたら、ご法要、こ参拝できます。

特に仏舎利宝塔は期間中お参りできませんので、必ず事前にご連絡ください。

なお今年からは高野山でカレンダーを販売しておりますので、はすの会での制作は中止しました。おみやげやさん、高野山駅の売店などで販売しております。よろしくお願いします。

雑感

高野山が世界遺産に登録されましてから、外国からの観光客が非常に増え、一層賑やかになりました。来年は中国でオリンピックが開催され、世界の人々の目は東洋に集まるでしょうし、ぜひ、日本によってみたいとう遠来の客もますます増えてくることと思います。

文化庁の宗教年鑑によりますと仏教徒の世界の宗教分布は6.3%でキリスト教、イスラーム教と比較しますと極めて少数で日本以外にはミャンマー、タイ、スリランカなどごく限られた国に限定されています。ミャンマーでは先日生活苦が発端になって暴動が起きましたが、容赦のない弾圧で貴い生命が失われました。日本でも昔織田信長によって延暦寺が攻められ、その少し前には東大寺の大仏殿が松永三好の兵火で焼失しています。高野山も豊臣秀吉に攻められ、延暦寺の二の舞いになる可能性がありました。いろいろ為政者にと って不都合な状況になっても、宗教団体を武力で押さえることには歴史的にも肯定できません。

山田良信様ご夫妻にみならう

高野山奥の院にはたくさんのお墓がありますが一番お墓の管理で困るのは、お供えした花やお供物で、清廉な墓所がゴミ捨て場同然になってしまうことです。

山田様ご夫妻は平素より絶え間なく美しいお花をご先祖様に手向け、お墓を美しくお守りしておりますが、いつも必ずご夫妻で清められた後、枯れたお花をその他の芥と一緒にご持参した用紙にまとめて持ってお帰りになります。

高野山を汚さない、汚してはお大師様に申しわけないというお気持ちは美しく、わたくし達も見習わなければならないと思いました。

ご先祖さまの世界遺産を護るためにも、山田様ご夫妻に厚く感謝いたします。

こ紹介制度のご案内

高野山別格本山持明院は今年大河ドラマでも 有名になりました戦国武将日本一の騎馬軍団を創った武田家、そして伊達家はじめ多くの日本の礎になられた平安末期の有名な古刹です。

「はすの会事務局」では、まだ仏舎利宝塔の地上五輪塔、塔内に五輪塔、御位牌を安置できますので、ご親族、お知り合いの方が居られましたら、いつでもご案内させて頂きますので、ご紹介して頂きますようお願いいたします。

「はすの会」は別格本山持明院によって永代供養して頂ける新しい会員みなさまの組織です。

今後ともみなさまと共にお大師様の教えを護り同行二人歩んでまいります。なおご紹介制度は事務局にご面倒でもお訊ねください。



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