いま「新しい永代供養」が注目される理由(テーミス)
- 2009年4月1日(水)
- カテゴリー|新聞・マスコミ
先日、雑誌「THEMIS」から永代供養についての取材があり、2009年4月号(P.84~P.85)に記事が掲載されました。
(画像のクリックで雑誌社のページにリンクします)
故人の冥福と遺族の安らぎのために
いま「新しい永代供養」が注目される理由
墓を造らない若い家族が急増するなか世界遺産・高野山の荘厳な雰囲気に惹かれて
ベンツを乗り回す“生臭坊主”
人が死ぬと病院からの連絡で葬儀屋が来て、派手な葬式をして、後で数百万円の請求書が来る。遺族は肉親を失っただけでも悲しいのに、葬式や墓など死後の行事で“第二の悲しみ”を味わわされる。
最近は葬儀屋やお坊さんが人の不幸につけ込んで金儲けをするのに反抗して、友人、家族だけで送る家族葬や、通夜や葬式をせずに火葬場で別れを告げる直葬が増えている。
葬式は簡単に済ましても、これで一件落着という訳にはいかない。
後に残された家族の気持ちはなかなか癒されないし、遺骨をどこに納めるか、死者の冥福を祈るにはどのような手段が最適かが、悩みの種になっている。
最近、このような悩みを解決する手段として注目されだしたのが永代供養である。永代供養とは「永年にわたって、仏事を営んで死者の冥福を祈る」と辞典にもあるように、これまでは仏教の習慣と伝統に従って行われてきた。
ただ「永代」というと、本来は「永久」の意味で子々孫々まで先祖を祀ることだが、最近は「永い代」という意味に変わってきた。
わが国では江戸時代に幕府がキリスト教徒を弾圧するためにすべての庶民を寺に所属させる檀家制度をとり、寺が幕府に代わって出生、結婚、死亡など人生の節目を管理してきた。明治時代になっても葬儀については寺が中心になって行ってきた。
ところが、戦後、家族主義が崩壊し、過疎化、少子高齢化が進んで檀家が減少したのに、長年の習慣にあぐらをかいて、お経をあげたり、戒名をつけたりするだけで数百万円をふんだくり、ベンツを乗り回したり、高級クラブでホステスと戯れたりする“生臭坊主”が現れた。「永代供養」を謳う僧侶のなかには収入を確保するセールストークがあったことも否めない。
欧米ではキリストが唯一の神として信仰され、人は生まれてから死ぬまでキリスト教のルールに従って生きている。しかし、わが国では“八百万(やおよろず)”といわれるように神はどこにでもいるが、人を支配する力を持っている神はいない。
最大の信者を抱えている仏教がこの有り様なので至る所で寺離れ、仏教離れが起きている。永代供養や納骨も、これまでの仏教の習慣とは関係なく行われるようになった。
最近は墓を造らない若い家族が急増している。では、遺骨をどこに納めるのか 。-
遺骨からダイヤモンドを生成
かつて、浄土真宗開祖の親鸞聖人は「それがし閉眼せば加茂川に入れてうほ(魚)にあたうべし」と遺言したように、古来から日本では遺体や遺灰は白然に帰すのが主流だった。
親鸞の遺志を受け継いだのか、最近は遺灰を海、山、川、空、木、自宅の庭などに帰す「自然葬」がひそかに広がっているのだ。
この言葉はNPO法人「葬送の自由をすすめる会」(東京都文京区・安田睦彦会長)が’91年に会を立ち上げた時、結成の趣旨の中で初めて使ったところ、社会的に反響を呼び、「広辞苑」第5版にも収録され、一般的な日本語になっている。
現在では1万5千人の会員の遺灰を自然に帰す手伝いをしている。
利用者の中には著名人も多く、タレントの熊谷真実さんはお母さんをヘリコプターから空葬し、女優、沢村貞子さん(’96年、87歳で病死)は先立った夫の遺骨とともに、相模湾に散骨されている。
いっぽうで、遺灰や遺骨を白然に帰すのではなく、いつも家族の身近におく“手元供養”という供養のスタイルもある。
遺骨から炭素を抽出して、人工のダイヤモンドを生成、ペンダントやブローチなどのアクセサリーとして身につけるのである。ダイヤを生成する会社はロシアにあり、費用は30万円。インターネットで「現代供養.com」を展開している「インブルームス」(静岡市)が受け付けている。
遺骨をそのままペンダントに加工して、いつも身につけて故人を偲ぶという方法もある。こちらは数万円と比較的手頃だ。
そのほか、新しい永代供養の方法としては米国企業が宇宙にロケットを打ち上げ、遺灰を散布したり、月面に墓地を造って遺骨を納めるという案も計画中だが、いずれも百万円を超える費用がかかるうえ、簡単には実現できない。
空海1千200年の歴史を背景に
そんななかで、誰でも簡単に、しかも合理的な値段で永代供養できる方法が静かなブームになっている。
遺骨をお寺に納めて、僧侶が供養するという仏教スタイルだが、注目すべきは納骨する場所だ。
世界遺産にも登録された高野山(海抜985メートル。和歌山県)である。
弘法大師・空海が唐の長安から釈迦の教えを学んで帰朝後、816年に真言宗の総本山として金剛峰寺を山頂に建立して以来、仏教のメッカとして約1千200年の歴史を誇ってきた。
歴代天皇の墓があるほか、織田信長と明智光秀の天敵同士が仲良く眠っているし、花菱アチャコ、柳家金語楼の墓もある。
明治の末期には、英国ビクトリア女王に仕えた貴族のゴルドン夫人が英国の文化を伝えるために来日した時、高野山で真言密教に魅せられ、生涯の大半を日本で過ごした。
夫入の研究テーマは仏教もキリスト教も元は一つであるという「仏基一元」で、京都で亡くなった夫人の墓は高野山に造られた。
高野山の魅力ポイントは開山以来、宗旨宗派を間わないで誰でも受け入れてくれることである。
全山には117の寺があるが、別格本山「持明院」に納骨すると、僧侶が50万円から100万円の供養料で永代にわたって供養をしてくれる。この手続きをしているのが、「高野山寺月会」(大阪市北区)である。
同会は15年の歴史をもち、1万2千を超す霊魂を癒してきた。
なぜ、持明院の永代供養に人気があるのか。持明院にはお釈迦さんの遺骨(仏舎利)が祀ってあることも理由の一つだが、何といっても他の寺院にはない高野山の荘厳な雰囲気に惹かれるようだ。
’95年の阪神淡路大震災で亡くした夫と息子の遺骨を持明院に託した女性は「私たちが高野山に墓を持てるとは思っていなかったし、いつ来ても線香の香りとお経が聞かれるのはここだけです。故人の霊はもちろん、残された私たちもお山に来るとホッとして、元気を取り戻すことができるのです」と話している。
高野山寺月会の担当者は「他の寺などで永代供養を頼んでも、いつ消減するか、わかりませんが、高野山は1千200年続いた歴史からみても永代まで続くでしょう。それに、お釈迦さんと一緒に眠れるなんて、ここだけです」と語る。
ここに死者の冥福を祈る新しい永代供養のあり方が示されている。
お釈迦さまと一緒に眠れる「持明院」