第一回写経の会、大好評でした(1997秋-No.4)
- 1997年9月1日(月)
- カテゴリー|はすの会 会報
第一回写経の会、大好評でした。
第一回写経の会はご案内の通り6月21日持明院で行われました。
写経は、昔より修行の一つとして考えられております。
経典そのものを本佛とみなし、特に「法華経」では写経による功徳が強調されており、実用と信仰の二つの目的を持つと言われております。
次回も参加したいという参加者のご意見もありましたので、さらに工夫をこらして開催したいと考えております。
私の人生の行方
はすの会会員 岩崎礼子様
私は夫と長男との三人家族です。私の宗教観に特別な思いがあったわけではありませんが、両親の先祖様に対して決まりきった法要を勤めているのを眺めながら育った程度のことです。
岩崎家に嫁いできても、夫の両親が離婚していることもあり、長男でありながら、遠く故郷から離れていたため、法要もすべて勤めていたとは言えません。
また、私自身下肢に障害があり重度の知的障害のある子供(現在28才)との子育て戦争の日々で寝る間もなく睡眠障害のため悲しみをいっぱいに背負ってしまって、死ぬことよりも生きていくことの方がよっぽど難しいと思いました。ほんとうに何回も気力を失いました。
頼みの夫はお酒に逃げることも度々ありました。実は13年前に出張先の関が原で大きな事故にあい、骨移植を二回もするという不幸に遭遇しています。
私はまだ若いのだから、自分自身がどこまでできるのか、きっと試されているのだと、自らに言い聞かせ頑張ってきました。
そして、ここまで頑張れて来られたのは、私の廻りに私を支援して下さいました温かい人達がいっぱいいてくれましたことが、最大の理由だと思いましたし、恵まれていました。
そんな日々を送りながら、わが家の行く末.について考えていました時に、永代供養のことが心の中にありました。
新聞で高野山奥の院「佛舎利宝塔」の事を知り、 「いつか」と思うようになりました。
その後義母も亡くなり、義母の里も絶えてしまいましたので、平成6年11月に夫ととも相談し、(はすの会)に入会させて戴きました。そして、私たちの最期もお願いすることに決めたのです。
幼くして亡くなった夫の弟達や夫が小さい時に可愛がってもらった祖父母の供養もお願いできるのでよかったと思っています。
義母とは世間さまで言われる、嫁姑の問題も少なからずありましたが、今では義母がそのように導いてくれたのかなあと、思えるようになりました。
また、いろいろな人達に助けてもらっている分、少しでもお困りの方にお返し出来たらと心掛けるようにもなりました。
私のエネルギー源はほんの少し、歌や手芸を楽しむことです。そのような幸せを私は積極的に見つけるようにしています。
(はすの会)は私たちの家庭にとって心安らかな生活をおくるための精神的な支えですが、私にとっても小さな幸せを見つけることができる生活の部分でもあります。
子供の笑顔がかけがえのない幸せを感じさせてくれるのと同じように。
私はこれからもどのような困難にも負けずに毎日毎日精一杯頑張って、生きていけたらと思っています。
まだ五十四才、これからこれから。
(おわり)
編集室より
本当に岩崎さんの原稿を読ませて戴いて、強い方だなあと深く感動させられました。苦労は修行であり、その苦労をのり越えて悟りの世界にきっといるのです。
それでなければ、こんなに明るい人にはなれません。
夏期合同法要百人の方がご参列
平成九年度の夏期合同法要が、7月19日「佛舎利宝塔」で例年のように挙行されました。
当日は梅雨明けの晴天に恵まれ竹内崇峯大僧正さまも今回はお元気でみなさまとお目にかかることができました。
今回はこ法話も頂戴し、ご先祖供養の大切さ、お釈迦様の教えを信じ現世を誠実に生きていくことの大切さについてお話を頂戴致しました。
秋季合同法要のご案内
恒例の秋季合同法要の季節がまいりました。まだ秋の風情には乏しいのですが、この頃より朝夕はかなり温度が下がります。
ぜひ、今回もお元気なお姿をご先祖に見せてあげてください。
日時 | 9月21日(日) 午後12時30分より |
ご先祖様を大切にするという事は、私たちの感謝の気持ちを亡き人々に捧げることです。この世で感謝の気持ちを忘れる生活から、社会的に大きな問題が生まれてます。お忙しい毎日ですが、このように高野山にお出でになり、ご先祖さまにお参りする気持ちを持っておられる方ばかりでしたら、今の世ももっと明るくなることでしょう。
仏教のことば「生きる知恵」より
幸せの秘訣
ブッダが幸福とは何かを教える一連の詩句がある。『大いなる幸せを説いた経』と呼ばれるもので、東南アジア一帯ではひろく読誦されている。交友、住む場所、行い、学識と経験、家庭生活、聞法(もんぽう)、生活態度などに関する幸福論が展開されていて、右のことばはその一部でもある。単純だが、含蓄(がんちく)深い詩句であるので、よく味わっていただきたい。
「父母につかえること、妻子を愛し護ること」がこよない幸せである、という。思えば、戦後のわが国は、経済の発展を追いもとめ、モノとオカネのあるごとがこよない幸せだと考えてきたのではなかったか。そしてその陰で、もっともないがしろにされてきたもののびとつが、家族のつながりと思いやりではなかっただろうか。
今、そんなかたよった価値観のつけが、学校でのいじめなどの間題として、わたしたちにまわってきているように思えてならない。家庭の重視、家庭の重要性が叫ばれるときにあって、これは、その一歩を教えているように思える。
「仕事に秩序あり混乱せぬこと」、これもこよない幸せといわれている。たしかに、自分の好きな仕事に毎日元気ではげむことができるほど幸せなことはない。が、休日も休めず、会社のために働きづめに働かされて、過労死させられるのは、明らかに幸せとはいえない。これでは仕事に秩序があるとはいえないのである。
この一連の詩句のあとには、いみじくもつぎのようにうたわれている。
「これらのことを行うならば、いかなることに関しても敗れることがない。あらゆることについて幸福に達する。―これがかれらにとってこよなき幸せである」。
南方の人ぴとが、お守りとしてこの経を読誦する気持ちがまことにわかる気がする。また、出典の『スッタニパータ』は、パーリ語で書かれた経典で、現存経典のなかでは最古に属するものである。釈尊の直説に近いと考えてよいと思う。
お知らせとお願い
以前に高野山寺月会に勤務していました古川氏がご自分のお寺を建てられましたが、高野山真言宗持明院とは関係ありません。
会員の方からのお問い合わせが何件かありましたのでお知らせ致します。
皆様方のご供養は今後とも持明院で行わせて戴きます。
(はすの会)事務局では会員皆様のご意見を頂戴し、楽しい企画をどしどし実現したいと考えております。そのために、旅行、講演会その他どの様なアイデアでも結構でございますので(はすの会)事務局迄お手紙をください。お待ちいたしております。
はすの会会館休館日のお知らせ
毎週月曜日・水曜日が休館となります。
なお、どうしても休館日にご来山をご希望の場合は、誠に恐縮でございますが事前にご相談ください。